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台東区の妖怪【浅茅ヶ原の鬼婆】伝承や物語・正体を考察!

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「浅茅ヶ原の鬼婆」とは、東京都台東区花川戸に伝わる妖怪です。

土地名である浅茅ヶ原の鬼婆と呼ばれる他に、一つ家の鬼婆と呼ばれる事もあります。

「浅茅ヶ原の鬼婆」の伝承

時代は飛鳥時代まで遡ります。かつて花川戸の周辺に浅茅ヶ原という原野があり、陸奥国や下総国をつなぐ唯一の小道があったと言われています。

しかし、浅茅ヶ原は泊まる場所がない程の荒れ地だったため、この道に来た旅人達は唯一人が住んでいるあばら屋に泊まっていたそうです。

このあばら屋に住んでいたのが浅茅ヶ原の鬼婆であり、泊まった旅人が寝静まると殺害し、金品を奪っていったと伝えられています。

「浅茅ヶ原の鬼婆」の物語

荒れ地である浅茅ヶ原のあばら屋には老婆と美しい娘が二人で暮らしていたと言われています。旅人達は娘の招き入れもあり、このあばら屋に泊めてもらっていました。

しかし、旅人が寝静まると老婆は寝床を襲い、石で旅人の頭を叩き割って殺害すると金品を奪い、死体は近くの池に捨てていたそうです。娘は老婆の連続殺人に心を痛め、諌めていましたが老婆がそれを聞き入れる事はありませんでした。

老婆が殺した人数はどんどん増えていき、999人にもなりました。ある日、一人旅をしている子供が宿を借りにやって来ました。老婆は子供を家に招き入れるといつも通り寝床に入って頭を石で叩き割りました。しかし、よく見ると子供の正体は自分の娘だったのです。

娘は自分の命を犠牲にして老婆を戒めるために、子供の身代わりとなってくれたのです。老婆が自分の行いに後悔をしていると、泊まりに来ていた子供が姿を現しました。子供は実は浅草寺の観音菩薩の化身であり、殺人を続ける老婆に人道を説くために子供の姿をとって現れたのでした。

その後の老婆の話は幾つかあり、池に自ら身を投げた、観音菩薩の力で竜になり、娘の死体と共に池に消えたとも伝えられています。他の説では観音様が老婆に殺された娘の死体と共に消えたという話もあります。

「浅茅ヶ原の鬼婆」の正体

多くの旅人達の命を奪ってきた浅茅ヶ原の鬼婆ですが、その正体は、貧しさのあまりに殺人と窃盗に手を染めてしまったお年寄りなのではないかと思っています。

荒れ地である浅茅ヶ原から出稼ぎにも行けず、極貧生活を強いられた二人はそれぞれの考えに辿り着いていたと思います。娘は「どれだけ貧しくても二人で慎ましく暮らして行ければ良い」、老婆は「どんな手を使ってでも極貧生活から抜け出したい」と考えていたのではないでしょうか。

その結果、老婆は考えを実行に移して殺人と窃盗を繰り返すようになり、もはや誰の声も届かない「鬼婆」と化してしまったのだと思います。

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